『聲の形』と言う映画を見ました。
ガツンと衝撃的でした。素晴らしい映画でした。
主人公の高校生が、自分の息子達と同世代で、すごく
リアルに、彼らの悩みと言うか、苦しみと言うかを
少し垣間見れたように思いました。
テーマになるのが
「人と人が互いに気持ちを伝えることの難しさ」
これから先、人間として生きていく中、
ずっと大切になるテーマだと思いました。
今から30年前の私が大学生時代「情報化」時代が
始まると言われ、何が、「情報」なのかをすごく考えた
時期でした。
携帯電話も普及してなく、まだ学生は、誰も持っていない時代。
自分の気持ちを伝える手段は、固定の家にある電話か、手紙でした。
固定電話は、なかなか相手と直接につながることが難しく
家の人が出て、、話づらい。肝心な気持ちは、無言の中、
長電話で伝えないといけなかった。非常に難しい。
手紙にしたら、誤解が無いように、何度も何度も考えて
書いては書き直す。
そんな意味では、「人が人に気持ちを伝える難しさ」は
今も変わらないのだと思います。ただ、伝える以上に
手紙以上に早く伝えることが可能になった分、
『時間』が、考慮されるので、余計に難しい。
手紙のように一定期間、時間が空くのが当たりまえで
手紙を書いた人間も 手紙を投函した後に 気持ちの整理
を区切られているので、冷製に時間を待てる。
今は、個人の携帯電話があり、メールがあり、ラインが
あり、ラインには、既読や未読とわかり。
言った後、自分の気持ちを放った後、メール送信した後
文字の修正をすることも出来ず、
相手が、既読と読んだとも分かっているのに、すぐに返事が
無い場合などの、時間。スピードの速さが、すごく、
昔以上に気持ちを伝える事が難しいように思います。
一度の送信してしまったメールで相手を傷つけると
なかなか、相手も傷がいえないままになる。
映画の内容とずいぶんと遠ざかってしまいました。
映画では、「耳が不自由な女の子」と「その子をいじめた子」
その事により「自分自身がいじめの対象になった男の子」
男の子はなかなかその人間関係から抜け出せず、自分の気持ちを
伝えることに悩む。
「耳の不自由な女の子」もうまく話せない、手話や筆談になる
分、伝えられない。
そんな中、人の優しさは、行動によって伝えた優しさは、
時間とともに相手に伝わる。
『幸せな人生や幸せな家族』ってこの気持ちを伝える、
優しさを行動にうつして、相手に与える事が、出来ている
人生や家族、夫婦なのかな? と思いました。
互いに関わり合う人間が、本音と本音をぶつけ合い、理解し合い
信頼関係が出来、安心しあい、尊敬しあい、仲間が出来る。
そんな仲間との人生は、いいなと思いました。
そんな家族が大事だなと思いました。
その為に、この映画の題名の『聲の形』のこの「聲」は、
「声」と「手」と「耳」の三つの漢字で作られている、
「手」は、「手話」や「筆談」や「行動」に
つながるのだと思いました。
声、手が、人と人をつなげて、心がつながる。
素晴らしい映画でした。