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(東京・浅草)
「三社様」として親しまれている浅草神社
結婚式は数多い人生儀礼の中でも、
重要な慶事の一つに数えられており、
新たに家族を築くという意義の深い儀礼です。
BRIDAL FAIR / TOPICS
ブライダルフェア・トピックス
推古天皇三十六年三月の頃。漁師の桧前浜成・竹成兄弟が隅田川において、漁をしている際、人型の像だけしか網にかからない日があった。当時、郷土の文化人であった土師真中知にこの日の出来事を語り、一見を請うたところ、土師氏は、これぞ聖観世音菩薩の尊像にして自らも帰依の念心仏体であることを兄弟に告げ、諄々と功徳、おはたらきにつき説明しました。
兄弟は初めて聞く観音の現世利益仏であることを知り、何となく信心をもよおされた二人は、深く観音を念じ名号を唱え、「我らは漁師なれば、漁労なくしてはその日の生活にも困る者ゆえ、明日はよろしく大漁を得させしめ給え」と厚く祈念しました。翌日に再び網を浦々に打てば、願いのごとく大漁を得ることができました。
土師真中知は間もなく剃髪して僧となり、自宅を改めて寺となし、さきの観音像を奉安して供養護持のかたわら郷民の教化に生涯を捧げたという。いわゆるこれが浅草寺の起源です。
土師真中知の没した後、間もなくその嫡子が観世音の夢告を受け、三社権現と称し上記三人を神として祀ったのが三社権現社(浅草神社)の始まりであるとされています。創建は、平安の末期から鎌倉にかけて、三氏の末裔が崇祖のあまり浅草発展の功労に寄与した郷土神として祀ったものであろうと推定されます。
奇しくも明治維新の神仏分離令により浅草寺との袂を分かち、明治元年に三社明神社と改められ、同6年に現在の名称に至ります。
「三社さま」として親しまれている浅草神社ですが、元来三人の神様をお祀りしたことからそのようによばれています。
〒111-0032 東京都台東区浅草2−3−1