品川神社の結婚式
品川神社 は、鎌倉時代前期 文治3年(1187年)に、源頼朝が安房国洲崎明神(現在の洲崎神社)の御祭神である天比理乃口羊命(口へんに羊の一文字)を勧請したと伝えられ、800年以上にわたって北品川の産土神として崇敬されてきました。
NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも描かれていたように、平家に負けて、千葉の房総半島に源頼朝は、流されます。罪人として監視される中、生活をしていた房総半島。
頼朝は、房総半島の先端、洲崎神社の神に、平家打倒を必勝祈願しました。
その後、元暦2年(1185年)壇之浦の戦いにおいて、源氏は、平家に勝ち、鎌倉時代が始まります。源頼朝は、東京湾の警護として、品川の高台にある品川神社に、洲崎神社の主祭神、天比理乃口羊【口へんに羊の一文字】命(アメノヒリノメノミコト)を勧請しました。
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東京湾の海上安全、また必勝祈願、家内安全を御神徳としております。
品川神社の主祭神は、天比理乃口羊命、素戔嗚尊、宇賀之売命が、祀られます。
疫病退散、身体健全、また商売繁盛、の御神徳も頂けます。
品川神社の歴史は、鎌倉時代の源頼朝公から始まり、その源氏の流れと言われる、
徳川家康公が、関ヶ原の戦いの際に、品川神社にて戦勝祈願を行い、戦いに勝った後、
お礼参りの際に、天下一嘗のお面を品川神社に奉納されます。
徳川家康公が、関ヶ原の戦いの際に、品川神社にて戦勝祈願を行い、戦いに勝った後、
お礼参りの際に、天下一嘗のお面を品川神社に奉納されます。
このお面は、「赤めん」で、国常立命の面として、例大祭の際には、各町会の
神輿に本物そっくりのレプリカが、付けられます。
品川神社は、地元氏子の方々の大好きな神社になります。
氏子の結婚式の際は、神前式をご希望の方は、
やはり神社にて挙式を行います。
氏子さんの自宅で神前式のお仕度を行い、
自宅から品川神社へは、人力車
で、町中の知り合いが、祝福してくれます。
品川神社は、京浜急行に乗車している方は、横浜から品川方面に向かって
電車が走っている際、品川駅の2つ手前の新馬場の駅を過ぎるとすぐに、
進行左手に目の高さに丘が見えその上にある神社を見ることが出来ます。
品川神社からタクシーでも10分、新馬場駅であれば、
北口より徒歩2分の好立地の神社になります。
品川神社の特徴
品川神社の特徴として3つあります。
1つは、アクセス
品川の高台にあり、アクセスが、良い。参列者が集まりやすい、
また、静かで、挙式後も参拝に来やすい神社
2つは、境内ロケーション
境内に赤い鳥居があったりと、当日ロケーション撮影しやすい
3つは、ゆとり
1日2件の挙式、丁寧に 挙式にゆったりと臨める
結婚式の際は、社務所の中にて、新郎新婦様の着付けお仕度をした後、品川神社の境内にて、少し二人だけのスナップ撮影の時間を設ける事が出来ます。
人気は、やはり、摂社として品川神社御社殿右側にお社がある、
阿那稲荷神社の赤い鳥居です。沢山並んでいる赤い鳥居と一緒に撮影をすると綺麗な赤と回りの木々の緑、そして新郎新婦の御衣裳がすごく映えます。
挙式30分前になりましたら、社務所の大広間の畳の部屋にて、ご両家の顔合わせ、親族紹介を挙式の前に行って頂きます。
親族紹介が終わりましたら、挙式進行の式次第の説明、新郎新婦様には、
作法の説明がございます。三献の儀の盃の持ち方、玉串の回し方、誓詞奏上の文章の
確認等、して下さいます。
時間になりましたら、社務所を出て、参進の儀になります。
御社殿に向かって、石畳みを、進みます、神主、新郎新婦、右側新郎様を先頭に新郎の家族、
左側新婦様を先頭に新婦の家族で進みます。
御社殿に入りますと、床の拝殿と土間の拝殿になります。
床の拝殿には、新郎新婦様と、ご親族5名様まで、御昇殿頂けます。
土間の拝殿には、20名様お座り頂けます。
厳粛な挙式を納めた後は、集合写真を撮影し、会食会場へ移動となります。
今日は、品川神社よりタクシーで10分弱、JR品川駅からすぐのプリンスホテルさくらタワー3階にある、「なだ万高輪プライム」をご紹介します。
品川の駅前でありながら、回りが緑に囲まれている、桜の季節は特に綺麗な
お庭のホテルです。ホテルの庭園には、観音堂、鐘楼、山門があり、池があり、
沢山のロケーションの撮影が楽しめます。
品川神社で白無垢からお色直しをして、ホテルに向かい、会食会披露宴の前に
少しだけ、お庭にて二人の撮影、写真を残しましょう!!
『なだ万』も老舗の日本料理店になります、
天保元年(1830年)創業になります。
長崎出身の灘屋萬助は、大阪にてなだ万の
前身になる、「灘萬楼」を開く。
数々の小説家にも愛され、夏目漱石の
『行人』の中には、灘万のまな鰹
森鴎外の『小倉日記』の中にこ
「灘万」で飲食をした話が出てきます。
日本の高度経済成長と共に、国際化、外国人のおもてなし接待の場として、東京に
長崎出身の灘屋萬助は、大阪にてなだ万の前身になる、「灘萬楼」を開く。
日本の高度経済成長と共に、国際化、外国人のおもてなし接待の場として、東京に
進出し、現在の本店は、ホテルニューオータニの日本庭園の中にある、山茶花荘に
なります。
家族親族中心の会食会の役割とても大切で
両家が、これから親戚として、お付き合い
スタートする最初の会になります。
沢山の余興と言うよりも、
新郎新婦が中心に家族と時間を過ごす
乾杯や、ケーキカットで、
結婚式の和やかさを作り出します。
そんな日本を代表する日本料理、懐石料理で、結婚式に参列頂いた、ご両親を始め
兄弟姉妹、親戚、友人をおもてなしする。
アットホームな空間で、新郎側、新婦側のご家族同士が、親戚になる良い
時間と空間となります。