祝詞の勉強をして30年!
好きな祝詞の中に、
六根清浄大祓の祝詞が
あります。
品川神社では、春と秋の
阿那稲荷でのお祀りの際
に、大祓詞と共に、氏子さんと
一緒に奏上するのが、この
六根清浄大祓です。
六根清浄大祓の教えは、私達一人ひとりの
中に、神が宿っているのですよ。意(こころ)で
なく、心(こころ)を清らかにすることにより
我々は、万物の霊、神と同體(どうたい)
になれます。と教えてくれます。
毎日、毎日の生活の中で、罪穢れを
まとい、毎朝、毎晩にこの罪穢れを
祓い。次の日、明日を迎える。
その毎日毎日が、大切です。
と教えてくれます。毎朝、毎晩、是非
家の神棚で六根清浄大祓を奏上して
見てください。新しい体験をします。
それは、自分の中の神様が、導いて
下さいますよ。と私は、日々思い、
実践してきました。
「六根清浄大祓」
天照皇太神の宣はく
(あまてらしますすめおおがみののたまわく)
人は則ち天下の神物なり
(ひとはすなわちあめがしたのみたまものなり)
須らく掌る静謐心は 則 神 明の本主たり
(すべからくしづまることをつかさどる こころは すなわち かみとかみとの もとのあるじたり)
心神を傷ましむること莫れ 是の故に
(わがたましいをいたましることなかれ このゆえに)
目に諸の不浄を見て 心に諸の不浄を見ず
(めにもろもろの ふじょうをみて こころにもろもろの ふじょうをみず)
耳に諸の不浄を聞きて 心に諸の不浄を聞かず
(みみにもろもろのふじょうをききて こころにもろもろのふじょうをきかず)
鼻に諸の不浄を嗅ぎて 心に諸の不浄を嗅がず
(はなにもろもろのふじょうをかぎて こころにもろもろのふじょうをかがず)
口に諸の不浄を言いて 心に諸の不浄を言わず
(くちにもろもろのふじょうをいいて こころにもろもろのふじょうをいわず)
身に諸の不浄を触れて 心に諸の不浄を触れず
(みにもろもろのふじょうをふれて こころにもろもろのふじょうをふれず)
意に諸の不浄を思ひて 心に諸の不浄を想はず
(こころにもろもろのふじょうをおもひて こころにもろもろのふじょうをおもはず)
此の時に清く潔き偈あり
(このときに きよく いさぎよき ことあり)
諸の法は影と像の如し 清く潔ければ
(もろもろののりは かげとかたちのごとし きよくきよければ)
仮にも穢るること無し 説を取らば得べからず
(かりにもけがるることなし ことをとらば うべからず)
皆花よりぞ木実とは生る 我が身は則ち
(みなはなよりぞこのみとはなる わがみはすなわち)
六根清浄なり
(ろくこんしょうじょうなり)
六根清浄なるが故に五臓の神君安寧なり
(ろくこんしょうじょうなるがゆえに ごぞうのしんくんあんねいなり)
五臓の神君安寧なるが故に天地の神と同根なり
(ごぞうのしんくんあんねいなるがゆえに てんちのかみとどうこんなり)
天地の神と同根なるが故に万物の霊と同体なり
(てんちのかみとどうこんなるがゆえに ばんぶつのれいとどうたいなり)
万物の霊と同体なるが故に
(ばんぶつのれいとどうたいなるがゆえに)
為す所の願いとして成就せずといふことなし
(なすところのねがいとして じょうじゅせずということなし)
無上霊宝 神道加持
(むじょうれいほう しんどうかじ)