庚申塚や庚申塔を見たり、聞いた
ことは、ありますか?
ホテル椿山荘東京の斎主として、
奉仕することになり、このホテルの中
のお庭にある庚申塚①が気になり
なんだろう?と調べていると、実は
他にも、目白通り沿い椿山荘を出て、
右手に進み、江戸川橋駅への細い
坂道を進むと右手に小さいお社
の幸神社②さん、また、椿山荘の
椿山を下り、神田川に出て、
川沿いに右手に
進むとすぐに水神社③がある。
これら、①~③、それぞれ違う
庚申塔が立っている。
下記、庚申塔、庚申塚について、様々な
辞書や神道の本から抜粋したものが、
下記になる。
庚申塚・庚申塔
庚申塚や庚申塔は、中国道教の中の
庚申信仰から来ている。
庚申信仰とは、
干支の庚申の夜に身を慎んで徹夜する
と長生きできるという信仰。
60日ごとに巡ってくる庚申の日に、
共同飲食しながら徹夜して語り明かし
夫婦の交わりを禁じるなど各種の
禁忌がともなう信仰。
中国の道教で説く、
三尸(さんし)説にある。
人間の体内には三尸(上尸、中尸、下尸)
という三匹の虫がおり、人が寝ている
間に天に昇り、人間の寿命を
つかさどる天帝にその人の日頃の罪過を
報告するため、身を慎んで善行し、
起き明かすという道教の説や、
申を猿にかけて、猿を神の使いと
する日吉山王の信仰、庚申を農耕神と
する信仰などと結びついて、
室町時代末期から講を通して民間に広まった。
ここまでの中、考えるのは、椿山荘の庭にある
庚申塔①は、三尸説の青面金剛で
幸神社にあったとされる庚申塚は、やはり
猿田彦大神の考え方
、そして神田川沿い、水神社にある、庚申塔は、
農耕信仰に考える。
道教の三尸説にともない、徹夜してこれを避けることが
説かれたこと、その徹夜を守庚申という。この三尸説は
おそらく、八世紀に朝鮮半島かを経由して日本に
伝わったと考えられている。
十世紀になると、天皇を中心とする守庚申が宮中で恒例
として行われたが、その内容は、宴遊だった。
十一・十二世紀頃、陰陽道関係者により「老子守庚申求長生経」
がつくられ十五世紀後半には、これに仏教的な説明を加えた
「庚申縁起」がつくられた。
そこでは、崇拝対象が青面金剛(しょうめんこんごう)、
観音、阿弥陀などとされている。
江戸時代には一般庶民の間にも普及し、庚申講が続々と組織され、
庚申塔が造立も盛んにおこなわれた。庚申塔は、庚申待ちを
三年連続で行った際に供養をして造立した。こうした状況の中で、
庚申の申にちなんで猿田彦神を本尊とする神道的な庚申信仰も出来た。
これは、②の幸神社さんに繋がる話です。
日本人の信仰、江戸時代からの庚申塔がいまだに綺麗に
椿山荘の庭に残っているのは、興味深いです。